人は自由な環境で育つほど、内省して自身の答えを出さなければいけない。
どうも、絶賛自転車日本一周中のよねすけ(@yonesukez)です。
先日、奈良県宇陀市にある「デモクラティックスクールアース」さん主催の教育イベントに参加したとき、「自由な環境で過ごすと悩みもないんじゃないか?」というご質問をいただきました。
実際にスクールに通ったものとして、このような質問は何度も受けてきましたが、自分自身は「自由な環境だからこそ人は悩むし、徹底的に内省して答えを見つけ出さなければならない」という回答をしてきたんですが、今日はその辺のところをまとめて書いてみたいと思います。
常に自由な道を選択してきた
まず僕自身の経歴を書いておきますが、旅に出る前は上述したような形態のスクールに4年半通い、そしてその後スタッフとして3年間働き、様々な団体に関わりながら現在は自転車日本一周の旅をしています。
自分の半生を振り返ると(たかが10年20年程度ですが)、常に自分が自由になる、解放される選択肢を取ってきたなぁと思いました。
基本的に自身の行く先に障害物があると、それを速攻で取り除くか迂回するかという選択しか出来ない人間なので、常に回りの人に迷惑をかけながらも自身の意思を貫いてきました。今思うと、本当に様々な方にご迷惑をおかけしてしまったと感じます・・・。
「自由な選択肢を選ぶ」というと、伝わり方によって「無責任な人間だ」とか、そういった声をかけられる人もいます。それはそうかもしれません。僕は自分で納得できない責任は果たしたくない曲がった人間なので、無責任な部分はあるかもしれません。
ただ自由な選択肢を選んだからといって、全てが楽なわけではなかったと感じています。むしろ、なんとなく生きていた時よりも考える機会が圧倒的に多く、時には突き詰めて考えたばっかりに鬱状態直前まで行くこともあります。いや、もう鬱状態になっていたかもしれません。(笑)
一時期は「資本主義はクソすぎる!貧困を是正せよ!」と鬱の学問と言われるカール・マルクスの本に手を付け、アメリカの保険制度の実態に目を向けて「ほら!やっぱり自由経済主義はクソだ!金で人や動物を食い物にする人間は人間じゃない!悪魔だ!」と半狂乱で読書のことしか考えず過ごしていたこともあります。(笑)考えた果てにそういった状態になることも多々ありましたね。
自由な学校は常にいばら道だ
僕が言いたいのは、「自由な学校は自分のやりたいことを叶えるには素晴らしい環境だが、ユートピアではない」ということ。
確かにサドベリースクールやデモクラティックスクールと言われるいわゆる自由な学校は、大人から見れば天国に見えるし、実際「天国だ」と感じる瞬間もありました。特にずっと会社に縛られた生き方をしてきた人が見れば、非常に羨ましくなるでしょう。
子どもから見れば自分のやりたいことを出来ない学校よりも、自身で企画して活動できるスクールは魅力的なものですが、常に天国なわけではありません。「あれ?これから俺は一体どうなっていくんだ?」と気づく瞬間が必ず現れます。
「天国だ」と感じるのは、これまであまりに自由がない環境からの反動で一時的に思うだけで、その後は常に内省しながらスクールで過ごすことになります。
僕はむしろ、時に鬱状態になるほど考えて行動するのはいいことだと思っていて、それで何も行動できなければ問題だし、その環境すら楽しめなければ害悪なだけなんだけれど、自分で内省して考えてゆくと、自分が今後生きてうえでの「コア」みたいなものが見つかってくるんですよね。
常に考える生き方は、正直しんどいのはしんどい。考えても答えが見つからない問題に必ずぶち当たる。ただ僕はその生き方が好きだし、自由な環境で生きている人たちは常に内省しながら生きている人もいると思う。
どういう生き方でもいいんだけど、自由な環境へ移ったからといって必ずしも天国にはならず、どんな環境でも自分で考えて答えを出さなければいけないこと、また自由な環境だからこそ意思決定の必要が多くなり、ぶっちゃけ大変だということ。ここは、意識しておいてほしいなと思います。サドベリーの生徒は宇宙人じゃないので、自由な環境で何も悩まず過ごす、なんてことはありません。(笑)
おわりに
というわけで、以上「自由な学校に通ったからといって、悩まないというわけではない」というお話のまとめを記事にしてみました。
自由な学校を選ぶのは素晴らしい選択だと思いますし、受動的に学び続ける学校よりはよほど楽しいし、より自由な発想に基づいた学びを行えるんじゃないかなと思います。
ただ、自由な学校を選んだからといって必ずしも天国な環境が続くかと言われると別の話だよ、ということを強調しておきたくて記事にしてみました。また一時的にせよ天国のような環境にいたからといって、それでいいとも思いません。そもそも、人生は楽しけりゃいいなんてことも思っていない。楽しければいいのなら、なぜ人間には喜怒哀楽の感情があるのでしょうか。というお話ですね。
これから自由な学校に通おうと考えている方々の参考になれば嬉しいです。それでは!