よねすけ、隣に突撃するってよ。

新しい世界を求めて、いざ突撃せん。

「若いうちしかできない」って本当なの?60代や70代で日本一周する人もいるということ。

自転車日本一周をしながら、自転車の後部に「日本一周」という看板を掲げていると、たくさんの人から話しかけてもらえます。

で、話しかけてくれる人って「お年寄り」が多いんですよね。平日昼間によく走っているし、人口動態的にも当たり前の話なんだけど。
旅の話をしていると、ほとんどの確率で「若いうちしかできないよね」なんて展開になるんですが、その度に「いやいや、ちょっと待ってよ!」と思ってしまうんです。今日はそんな話をちょろっと。

 若いうちしかできないってホント?

現在僕は日本一周中の身ですが、おおよそ8000km走っただけでも相当な人数の方々とお話させていただきました。
峠越えなんかをしていると、頂上スポットで団体のツアーグループと遭遇するときが多々あって、皆興味津々で話しかけてくれるんですよ。「あなた、宇宙からどうやってきたの!?」と言わんばかりに。宇宙人ちゃうわ!
話の流れで、「自転車でここまで来れるんだね〜!若いうちしかできないねー!」なんて展開によくなるんですが、その度に「いや、ちょっと待てい!」と思うんですね。
 
というのも、この日本一周の旅を通して様々な方にお会いしてきたわけですが、なかには70代や80代で自転車日本一周であるとか、徒歩日本一周とか、なかにはベビーカーを押しながら日本一周している(!)なんていうツワモノもいるんですよ。
若い僕にとっては希望になる存在だし、誇りに思っているので「70代や80代で日本一周している方もいますよ!」と返すんです。
そうすると、ほとんどの確立で「ふーん」というそっけない反応が返ってくるか、もしくは「それは、昔からスポーツをやっていたからできたんだろうね。」とまるで「自分たちには関係ない」というテイストで受け取られてしまうんですよ。

自ら「選択している」ことを自覚しているか

お年寄りの方の言い分も、そして立場から考えても共感できるところはあります。若いうちは選択できる余裕・難易度が低いけれど、年齢を重ねるごとに「選択すること」の重要性・難易度がどんどん増していく。

年を重ねれば重ねるほど、担わなければならない「責任」も増えてゆく。仕事から始まり、結婚、子育て等々・・・。

ここで重要なのは、自分が「責任を担うということ」を選択していること、それらを自覚しているかどうかだと思うんです。責任は勝手に向こうからやってきているんではなくて、「私が責任を担う」ために行動している、ということを自覚しているか。

10年単位の歳月を費やせば、大体のことは叶えられる

以前百姓の方とお会いしたとき、「百姓は10年やっていても、初心者扱いされる」という話になりました。

田植えは1年に一回しかできないから、10年やっても10回分しか実践ができないと。それってすごいことなんだと。そういうお話をしていました。

まだ20年しか人生を生きていない自分にとっては途方もない話ですが、逆に「10年や20年という大きな周期で物事を見てゆけば、大体のことが叶えられるんではないか?」と思ったんですね。

 

百姓は、10年やっても10回しか実践ができない。逆に考えれば、ほとんどのことが10年あれば相当な練習を積むことができるわけです。

大体の人が1年単位、2年単位、さらには1ヵ月や1週間・・・と刹那的にすぐ結果を出そうとしてしまうけれど、もっと大きな時間軸で考えてみればいいのではないか。

そして、それらの行動は「今、ここ」から始まっていく。未来の行動は現在の行動から作られていく。例えお年寄りであっても、「若いうちしかできないよね」と現在の行動を拒否していれば、叶うものも叶わないよね、と思うわけです。何より、若者からみればそのような態度が「悲しい」と思ってしまう。これは、個人的な感情ですけれど。

 

「10年単位で考える・・・」というのはお年寄りにだって日本一周できる!という話からは若干矛盾するんですが、これだけ平均寿命が伸びている時代には十分可能だと思います。日本一周に興味を持ってくださる方って、50代、60代くらいの方が多いですし。

外的要因と内的要因

「年老いていく」というのは外的要因で、自分にはコントロールできない話です。科学の力を使って対抗しても、現代の技術ではコントロールできないでしょう。

一方、「若いうちにしかできない」というのは自身の「内的要因」の話で、これは自分の動機づけによっては克服することも可能であるし、「今この瞬間」から日本一周の旅をするために行動することも可能です。

もしくは、自分が「昔から日本一周に憧れていて、現在でも行きたいと思っている。でも今は家庭や仕事があって、日本一周よりもそちらを選択しなければならないから、今はやらない」という選択をすることもまた、可能です。

 

この外的要因と内的要因を分けて考えること、そして自ら「選択している」ということを自覚していれば、「若いうちしかできない」という言葉はなかなか出てくるはずがないと思うんですが、いかがでしょうか。

おせっかいな話だし、「人のことだから気にするな」と言う人もいるのでしょうが、実際にそのように話をされるとモヤモヤしてしまうんですよ。「いや、自分の選択次第やん」って。

日本一周を続けていくうち、これから何度も「若いうちしかできない」という話をされると思うんですが、その度に上記の話をしていこうと思います。相手のためになるかどうかは全くわからないけれど、「このような考え方をする若者もいるのか」ぐらいに思ってもらえれば、自分としては本望だなと。