旅をして感じた「ギフト」を人に与える面白さ。
普段は旅の様子を綴っているこちらのブログですが、今日は旅の最中にある出来事が起きて、自分なりに思うことがあったのでメモ代わりに残しておきます。
恩を貰い続ける生活
ことの発端は下記の出来事から。
今日は道の駅なぶら土佐佐賀で足を止めたんだけど、職員さんの対応が神だった。
— よねすけ⚓︎四国歩き遍路@高知 (@yonesukez) 2016年6月15日
職員「今日はこちらで寝られますか?」
ワシ「ハッハイ」
職員「では、こちらの椅子と机を置いておきますね。トイレは24時間開放なのでご自由にお使いくださいませ。ではごゆっくり!」
ワシ「えっえっ」
寝られますか?って聞かれた時点で内心「断られるパターンかな」と推測してたんだけど、公認してくれた上、さらに配慮までしてくれるとは…。
— よねすけ⚓︎四国歩き遍路@高知 (@yonesukez) 2016年6月15日
道の駅で買い物する予算がなくて本当に申し訳ない。2〜3年後にこの場所に来て、居合わせた旅人と一緒にカツオのタタキを食べることを固く心に誓ったわ。
昨年の4月に日本一周の旅に出発してからというもの、初っ端から見知らぬおばあちゃんに1000円を頂いたり、初対面の方にご飯を奢ってもらう、家に泊めさせていただく機会がたくさんあった。
現在はその延長として四国のお遍路旅をしているわけだけど、こちらには正式に「お接待」という文化があって、僕は遍路の肩書きを被りながら四国のあちこちで歴史の恩恵を受けている。
旅に出る前は、他人様が無条件で現金や物をくれるなんていう出来事は皆無だった。それ故に衝撃が大きくて、旅の初っ端から「どうしたもんか」と自分なりに目の前の出来事に対し落とし前をつけねばならなかった。
その人の性格や人生の方向性によって変わってくるのかもしれないが、人様に無条件で自身の資産を分け与えるなんてことは考えられなかったし、現在でもそう簡単に手放せるわけではない。
一方で、受け手から見れば本来自分で買うはずのなかったものをいただけるのは「突然のサプライズ」ばりに嬉しいものがあり、その出来事がキッカケで深い繋がりが出来ることもあるので、「予測不可能性」を自分から生み出せることもあるのだなぁ、と思った。
予測不可能性が幸せを生み出す鍵だとしたら、サプライズという名のギフトは幸福を生み出す最高のツールだ。旅でそれを実感できたのは、とても大きな収穫だった。
恩送りと循環
毎日色々な物を頂いていると、恩を受けるのに慣れてしまう。これは人の生態からして仕方のないことなのだけど、こうなると受け手の自分にとっても「サプライズ」の面白さが半減し、「乞食性」が身につく。
乞食性自体はどうにも出来るものではなく、変にへりくだって余計な遠慮をするよりは、堂々と貰えばいいのではないかと思う。
ただ人から色々な物を頂いて、さらに次の人へ返すという「恩送り」を実践している人たちを見ていると、世界はミクロ的にはこのようにして循環しているのだなぁと思うし、自分も一員として加担したいよなぁと次第に思い始める。
旅をする人の中には、自力で進むのではなく人からの恩恵を貰うことにより成り立つ0円旅を行う人がいるという。
旅人界橋で「人から恩を貰う前提で旅をするのはどうなのか」「マナー違反ではないか」「旅人のイメージが悪くなる」という議論が時たま勃発することがあって、いつも面白いなと思って眺めているのだけど、議論すべき点はたぶんそこじゃない。
出費をせず旅をすることは面白い企画だし、仮にパトロン的にお金を投じる人がいても、出資者は「価値」を見出して投げ銭をしているわけなので、問題にはならない。
第3者視点のモラルとかマナーは個々人の主観によるものだけど、もし恩を貰うことが当たり前になり、それを自分の実力だと思って、「ギフト」を貰えることの面白さに気付けないとしたら、さらには自分から「サプライズ」を与えられないのなら、それは不幸なのかもしれないなぁと思うわけです。
これは旅人だけではなく、誰しもがそうですね。
資本主義社会の前提
ちょっと話が一気に飛躍しますが、資本主義の大前提って価値を増殖させることと、富の再分配を行っていくことだと思うんですよね。
価値を増殖させ続けることで身の回りの利便性やこれまで到達出来なかった領域に進んでいき、なおかつ構造上必然的に生まれる格差を是正していく。
このお遍路の旅で毎日毎日歩きながら、「富を自分で再分配していくこと」こそが、実は最高にクレイジーで面白いのではないかと思ったんですよね。
他人へのサプライズもある意味では再分配と呼べるのかもしれない。サプライズを受けた側も非常に嬉しいのだけど、もし自分が与える側だとしたら、それを受けるより面白いのでは?と想像します。
なにせ全て自分でコントロール出来るわけだし、それを手にした相手の顔を想像しながらニヤニヤ出来るんですよ!これほど面白いものって、なかなかないんじゃないのかなぁ。
段々と話が変な方向に言っている気がするので無理やりまとめると、今回の一連の出来事は自分からすれば全く想像していなかったし、お遍路という仮面を被っているとはいえ道の駅は自分の家ではないので、野宿をすることに多少なりとも引け目を感じていた。
そこで声をかけてくれた職員さんは公認してくれた上に配慮までしてくださって、自分にとってはサプライズでしかないので、本当に嬉しかった。
一方で今の自分にはギリギリお遍路を達成出来るだけのお金しか持ちあわせていないので、道の駅で食事をするなどして循環させることが出来ない。正直、めちゃくちゃ悔しい。
だから2〜3年後に道の駅に再び訪れて、居合わせた旅人にサプライズを企みつつ一緒にカツオのタタキを食べることが出来たなら、絶対面白いよなぁ、と固く心に誓いました。こんな感じでさらに再分配を進めることが出来たら、もう最高よね。
1人旅は進みながらひたすら内省できるので、自分にとって非常に貴重な時間になっています。とりあえず、今すぐカツオのタタキが食べたいわ。