よねすけ、隣に突撃するってよ。

新しい世界を求めて、いざ突撃せん。

全て顕在化された情報化社会だからこそ、カオスの巻き起こる旅に出る。

どうも、絶賛自転車日本一周中のよねすけ(@yonesukez)です。

ネット社会は、全て顕在化された情報がネットの海を漂っている。自分の興味関心に基づいて情報が選別され、コンテンツの中身を確認せず消費されることもある。徹底的にユーザーにとって便利な明示化された情報が評価される社会では、「予想外のカオス」の価値がおざなりになるケースが度々ある。

全て予定調和で進む社会では、「カオスが巻き起こる状況」こそが価値のあるもので、意図していないタイミングで突然の出会いがあったり、情報を得られたり、はたまた「死」の危機が訪れることもある。僕は明示化されている情報が漂う社会だからこそ、カオスの巻き起こる「余白」のある旅をしているのかもしれない、というおはなし。

予定調和の外側にある奇跡

旅というのは基本的に予定調和で進むことがなく、偶然の出会いがあったり、また都市では考えられないトラブルが発生して、否が応でも気分が落ち込む瞬間が度々ある。

僕たちは自然というカオスを極力避けるために人間の支配下を増やしてきたけれど、予定調和が進めば進むほどにまた人は不安定は欲するようになる。

そして、旅で巻き起こるカオスには度々サプライズが仕込まれているもので、トラブルが巻き起こったからこそ新しい発見があったり、実は目の前にあったけど見逃していた素晴らしい景色に出会うこともある。

 

人間はすぐに環境に馴染んでしまうものだから、一旦慣れて生活がルーティン化すれば時間の経過する感覚が早くなり、記憶に残らなくなる。そうなると、あっという間に年齢を重ねてしまう。僕はこれが恐ろしくて仕方がない。

だから、そのカオスを求めて旅をしているのかもしれない。予定を組んでいたものが自然環境によって変更を余儀なくされ、「なんて自分は惨めな生活をしているんだ・・・」なんて思っている端で謎の面白さとワクワク感が胸の奥から湧いて出てきて、誰もいないのにニヤニヤすることがしょっちゅうある。気持ち悪い。

これまで自分は予定調和の生活を続けてきたから、そのギャップが面白いし、自分の予想をことごとく裏切って事象化している時点で謎の面白さがある。こうなると、もう予定調和の生活では物足りなくなってしまう。麻薬みたいなものだな。自転車での旅すらカオスが巻き起こる余地が少ないので、旅のスタイルを変更しようとしているし。

カオスを受け入れる準備をしておく

ただ予定調和が前提の生活をしている人には、カオスは余計なものである。出来るだけ時間通りに物事が進んでいかなければいけないし、出来るだけ予定していた生産量を生み出してくれればならないし、予定があるときにカオスが巻き起こると、それを排除しようとする。

だから、カオスを乗りこなすためにはそれ相応の準備が必要だと実感している。例えば自転車のライトがいきなり盗まれてしまったとき、「この糞野郎!見つけたらどついてやる!」と思うか、「また買わないといけないのは厳しいけど、これを盗った人はどういう理由で盗ったんだろう?もし必要だったのなら役に立っていればいいんだけど」と思うかどうか。

以前の自分なら激昂して終わっていたけど、現在は盗ったであろう人に一時的に腹を立てながらも、「まぁこれはこれで面白いな」なんて軽く流している。無駄に想像を巡らせて腹を立てるメリットはどこにもないので、それだったら「上手く使ってくれたかな?」と考えるほうが幸せかなと。

 

カオスを楽しむためには、「人事尽くして天命を待つ」を徹底的に行わないといけないと思っている。カオスはカオスなんだけど、受け入れる準備のない人にカオスはやってこないし、やって来ても関心すらもたない。

そして、このカオスにこそ「これからの生き方」を模索するためのヒントが詰まっている気がする。だから、まず自分が必要だと思うことを愚直に実行し、準備を整えたうえでカオスに挑む。また準備中にカオスが訪れてもいいような準備もしておく。

いつ、誰が来ても受け入れられるように。ただ自分の予定が狂ったというだけで激昂しないように。まず目の前のカオスを受け入れ、それから「このカオスは自分にとって面白いものかどうか?」を判断する。

 

旅以前は予定が狂っただけで、目の前の物事が楽しくても機嫌が悪くなっていた。また旅中も、自分の意図していないタイミングで人が来ただけで素っ気ない態度をとっていた。

だけど、本当の旅の目的は人との出会いであり、それはカオスを受け入れることと同義だった。だから、最近は自分の予定を後回しにしてもカオスを一旦受け入れるようにしている。そこから、これからの新しい生き方や面白いコンテンツが生まれるし、予定調和な社会が進行すればするほど人々は求めるのだろうと僕は思っている。

1年間旅をしていて思ったのだけど、結局奇跡は目の前に転がっていて、自分はただそれを意図的なのか偶然なのか、見ないようにしていただけだったということ。ちゃんちゃん。