よねすけ、隣に突撃するってよ。

新しい世界を求めて、いざ突撃せん。

旅を終えたあと、僕はどのような道を辿ってゆくのか。

どうも、絶賛自転車日本一周中のよねすけ(@yonesukez)です。

先日一人のおじちゃんと出会い、「旅を終えたあとはどうするのか」という話をしていた。あくまで旅は人生の通過点の1つであり、旅をしながら今後のことを考えておかなければならないと。

確かにそうかもしれない。旅をしているときは自分とひたすら対峙することになるから、「今後、自分はどの方向へゆくのか」という問いを常に自身に投げかけている。現時点で答えが出ているわけではないけれど、少し考えをまとめておく。

人事を尽くして天命を待つ

まず最初に述べておくが、必ずしも現在進行形で物事に真剣に取り組んでいるときに次の手立てを考えておくことが得策とは思っていない。

もちろん次の手を打つための戦略は必要だから、そういう時は考えればいい。また先のことを考えることでより気持ちがワクワクすることもあるから、それは自身の心に従えばいいだけのこと。

ただし、不安に取り憑かれて将来設計を立てる意味はあまりないと思っている。もちろん精神を鎮める効果があるのは確かだけれど、それ以上の効果はない。費用対効果が薄すぎるし、将来を規定することでこれまであった余白が奪われ、奇跡が舞い込む余地がなくなるという意味もある。旅は奇跡の連続で成り立っているといっても過言ではない。

 

旅をしながら、将来への不安とひたすら対峙してきた。

このままでは、自分は自堕落な人間になってしまうのではないか。こんな生活をしている自分は惨めすぎやしないか。果たして旅を終えても生きながらえることはできるのか。旅を終えてしまったら、自分が自分でなくなってしまうのではないか。そもそも、こんなことをしている場合じゃなかったのではないか。

人間、不安になればとことんまで不安になろうとする。本来なら考えないようなことまで触手を伸ばし始める。しまいには1つ1つの行動全てが不安に取り憑かれ、脳のキャパシティーがオーバーしたタイミングで全て吹っ切れ、元の状態に戻る。そんな経験を旅を通して何度もしている。

 

この状態を数回、数十回と繰り返したからか、次第に不安に耐性がつきグラつかなくなってきた。確かに将来を規定しないことで不安になることはある。ありきたりな進路を辿っていないから、「自分の人生はもう終わってるのではないか」とこれまで何度思ったかわからない。

しかし問いを繰り返すごとに、自身の精神的支柱が徐々に徐々に、その萌芽を芽吹かせ始めていることに気づいた。

これまでは散々揺らいできた自分にも「自身の役割」のようなものが見え始めてきた。必要なことは今自分に出来ることを着実に続けること、そして準備万端にした状態で「人事を尽くして天命を待つ」ことしかないということ。

かの始まりの地で

現在は琵琶湖の湖北に差し掛かっているところだけれど、そういえば日本一周のきっかけとなった琵琶湖一周時に訪れた地にたどり着いた。

そうそう、この場所で寝泊まりしていた時にとあるタクシーのおっちゃんと話し、自転車で時間を気にせず旅を続けるなかで「こういう生活って、すごくいい」と思い、自宅を飛び出したんだ。懐かしい・・・。

しかし考えてみれば、以前琵琶湖一周した時は2014年の大晦日だった。つまり、あれからたった1年3ヶ月程度しか経過していないことになる。実感としては3年も4年も経過していると思っていたけれど、まだ1年半も経過していないのか。と考えた時に思わず身震いするほど恐ろしくなった。

一体この旅で、どれだけの経験をさせてもらったんだ。どれだけの人と会話を交わし、どれだけの地域で思い出を作り、どれだけ絶望し、どれだけ自身と対峙し、そしてどれだけ生きようとしたんだ。旅に出る以前は自分のことすら考えられないヒヨッコで、自力で生存することすらできないウンコ製造機ではなかったのか。

 

これほど多種多様な感情が混じった1年は、人生でも稀だな。

かの始まりの地を訪ねて、初めて「この旅は無駄ではなかった」と思えた。全てが先へと繋がっていて、全て無駄ではないということ。全てに意味があるということに気づくことができた。

「将来の道程を考える」から先へ進んで「自ら役割に気づく」段階へと進み、結局「やるべきことをやって、あとは人事尽くして天命を待つ」という答えに辿りついてしまった。

 

なんとなくだけれど、誰でも人事を尽くしていれば、然るべきタイミングで転機がやってくるものだと思う。でも準備を整えないものには春はやってこないし、いつでも転機が転がっているわけではない。

だからこそ、僕は自身の信念を貫くためにやるべきことをやっておく。その行為は決して承認欲求や他者との比較から来るものではなく、絶対的なところから来るものだ。

いつまでも比較していたって仕方ない。ブレると本来見えるべきものまで見えなくなってしまう。自分が惨めに見え始める。次第に行動することすらままならなくなり、もぬけの殻と化す。だから、ただひたすらに自らの刃を研ぎ続ける。いざ陽の光が当たるその日まで研いで研いで研ぎ続ける。

 

ようやく、ようやく自身と向き合えることができるようになった。はじめから自身の役割は手元に落ちていたんだ。あとはいずれやってくるあの日まで、ただ刃を研ぎ続けるだけだ。