よねすけ、隣に突撃するってよ。

新しい世界を求めて、いざ突撃せん。

“成果が出るのに一生かかる”「教育業界」に関わる人たちは、本当にすごい。

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どうも、絶賛自転車日本一周中のよねすけ (@yonesukez)です。

このブログでも少しだけ書いたことがあるけれど、以前は「サドベリースクール」という名の自由な学校で生徒として過ごし、その後は生徒の学びをサポートするスタッフとして、学校に関わっていました。

この学校では、学習指導要領で設定されているような「評価値」のようなものを設定していません。最近、義務教育制度化の学校でも「数値で測れないものを評価しよう」という動きになっているけれど、まともに成果が出るのが数十年後や一生必要とさえ言われる教育業界で、明確な数値だけを追い求めることをせず、なお理念を信じ続けながら学校運営を続けるのは本当にすごい。とあらためて思ったので、記事を書くことにしました。

 

参考記事:授業も時間割もテストもない自由な学校、「サドベリースクール」を知ってる?僕はそんな学校に通っていました。 - 風来のタズネビト

何が正解で、何を成果と判断するのか

僕は「サドベリースクール」という学校には関わっていましたが、一般的な教育業界で働いたことはない。普遍性はないかもしれないけれど、この学校での体験を少し綴ってみます。

「サドベリースクール」では1日のスケジュールの基礎となる「授業・時間割」や、数値的な目標達成を追う「テスト」といったものは一切なくて、基本的に子どもたちの興味・関心に応じて1日が展開されていきます。

大人は「これやりたい!」という子どもたちに対して、サポートをするのが一番の役目です。学校全体の雰囲気を見つつ、子どもたちの「これやりたい!」を叶えるために行動します。

 

この「サドベリースクール」に限らず、義務教育外の学校の総称である「オルタナティブ教育」では、「数値のみを教育の成果とする」ことを嫌う傾向にあります。

というのも、オルタナティブ教育自体の歴史上、「義務教育制度化の学校による、教育の標準化・画一化」へのアンチテーゼとしてこのような教育が生まれてきた、という背景があるからです。

様々な教育思想があるから一概には言えないけれど、「標準的・画一的な教育は人格の形成を阻害する!」という理由から、具体的な数値目標を追うだけではなくて、人間性までを重視した教育思想が形成されていきました。

「教育する側」から「教育を受ける側」へと主導権が変化していくわけですが、教育する側から見れば、より複雑で、かつコントロールできない領域へと足を踏み入れていくことに他なりません。

 

学校へと関わりながら、「一体何が正解で、何を成果と判断するのか」について、散々悩みました。

ぶっちゃけると、本人の意思で活動を行い、失敗しながらも成果を生み出し、自らも楽しく関われたらそれでいいのかもしれません。

前述した通り、オルタナティブ教育では数値だけで教育成果を判断しません。サドベリースクールはその中でも特殊な学校で、数値目標さえ設定していない。だからこそ悩んだのかもしれないけれど、「何をどうやって成果と判断するのか、何を目指すべきなのか」は民主的な学校では日々話し合われていることです。

最初は楽観的に「この学校へ関われたら楽しそう!」と思って働き始めたものの、時間が経つうちに「やべぇ、自分はこの子たちの一生の責任を負えるほどの身分じゃねぇ・・・!」と思い、その他もろもろの理由で退職してしまったんですが、改めて考えると学校に携わる方々はマジですげぇよなぁと。

それでもなお、理念を信じ続ける

数値で教育の成果を判断するのなら、短期的に結果を出すことも可能だと思います。それが人間性や人格の形成なんて目標になると、早くて数十年後、長いと一生涯を必要とするし、客観的に厳密に測定することなんてできません。最も理解しやすく科学的な手法である数値だけで目標を判断せずに、自分たちが追い求める理念に向かって走り続ける。

「教育だけがすごいんだ!」なんていう気は毛頭ありませんが、大抵のことが数年・数十年というサイクルで成果が出ることを考えると、教育というのは自らの人生計画を全て達成するぐらいのレベルで結果が見えず、暗闇のなかを突き進んでいくしかない。

それでもなお、自分たちが「これこそ!」と思う抽象的な理念を追い求めて、日々子どもたちのサポートをしながら学校の城壁を守り続ける。今でこそ、このような学校も世間的に受け入れられているようですが、「不登校なんて、非国民だ!」などと言われていた時代からオルタナティブ学校を続けられてきた方々には頭が上がりませんね。。。

 

オルタナティブ教育だけでなく、義務教育下の学校においても「学習指導要領に明記されている事項を守るだけではなくて、できる限り一人一人の生徒を見よう」という先生がポツポツいます。

そのような先生が「今の学校ってちょっとおかしくね?」という疑問からオルタナティブ教育、果てはサドベリースクールにたどり着くケースもあって、実際にお話したことも何度もありますが、彼・彼女らは時に学習指導要領という基準を飛び越えて「本当に必要な教育とは何か」を考え、それぞれで実践してらっしゃいます。

学校の制度上、そのような先生方が学校から排除されやすい傾向にあるのは残念でならないけれど、今考えれば自分もそのような先生方にお世話になった経験があるので、本当にありがとうとお伝えしたい。

 

はたまた、明確な教育の基準が設定されておらず、いつ成果が出るかもわからない状況で「OK」を出す保護者の方々の決断力もすごいなと。

元々生徒であったという立場から、オルタナティブ教育へ通い始める動機として「最終的には子どもがフィーリングで「ここいいな」と思って入学するのが一番ですよね〜」なんて保護者の方々にはお話していたし、「親が子どもの意思を尊重せずに学校選びをするなんて言語道断」とすら思っていたんだけれど、「子どもをオルタナティブ学校へ通わせる」という決断をするだけでも相当にすごいなと。

選択する基準が明確でもないし、そもそも親が直感的に「ここいい!」と思っても、子どもがどう決断するかまではわからない。中には「子どもがどこがいいかわからん」と言い出すもんだから、全国の学校を巡ったという保護者の方も何人もいました。

子どもは子どもで、将来どうなるかよくわからない所に入学する決意をすることは相当な勇気がいることと思うし、自分も小学生のとき「将来が不安だ」などと言っていたらしい。学校を運営する人たちもすごいが、その場を選択する生徒・保護者の側も、相当な勇気がいることと思います。

 

自分自身も教育業界に関わっていた身でありながら、その場に関わる”すごさ”についてあまり理解できない状態で離れてしまったので、改めて「ありがとう」ということを伝えたいがために記事を書いてみました。それでは。