よねすけ、隣に突撃するってよ。

新しい世界を求めて、いざ突撃せん。

たとえ旅が終わっても、太陽の存在を実感できる生活をしていたい。引きこもり中は死んでいる状態と同じだった。

どうも、絶賛自転車日本一周中のよねすけ(@yonesukez)です。

旅中はテント生活で全国各地を移動していくわけですが、屋内で生活する時と比べて、圧倒的に太陽の光を浴びる機会が多くなります。また、日の出・日の入りが見られることもしばしば。

旅の直前は家に引きこもっていて、ほとんど死んでいる状態と同じだった。太陽を浴びる生活を始めてからは、たとえ衣食住の欠けた生活であっても「生きている」という実感が伴った。だからこそ、旅が終わったあともこれだけは続けたい。そんなおはなし。

太陽を毎日感じるということ。

日本一周中の今でこそ毎日太陽を浴びる生活をしているけれど、旅に出る直前は準備のためと言いつつ、家に引きこもっていた。

普段から家に引きこもるということはないものの、旅に出る前は実家のありがたみを実感して、できる限り室内にいたくなる。そのような生活をしていると、基本的にアウトドアな自分はやがて心が荒んでいき、目が死んでゆく。(笑)

太陽を感じるとき、体の根っこから幸せな感覚が湧いてくるときがある。ああ、生きているんだと。逆に室内に引きこもっているときは、死んでいる状態とあまり変わらないなと実際に引きこもっていて思った。

 

「生きている」という感覚は、毎日太陽が昇り、陽が沈み、夜が来る。この一連のプロセスを経て、実感できるものなのだと思う。

死んでいる状態とは、おそらく変化がない状態であり、振れ幅のない生活をしている時をいう。旅に出る前、引きこもっている時はこの状態と同じ生活をしていて、生きている心地がしなかった。

たとえ衣食住を得られる生活であっても、「死んでいる」と思ってしまう。逆にそれらが欠けている生活であっても、毎日太陽を浴びているだけで「ああ、生きているんだ」と実感できる。現代の人間からすれば面白い現象だと思う。たとえ旅を終えても、毎日太陽を浴びられる生活だけはしたいと思った。

日の出と日の入り。

日の出と日の入りは自分にとって特別なもので、日の出は生命の誕生、日の入りは生命の死をあらわしているものだと考えている。日の出から日の入りに至る過程は、一つの生命の誕生から死までを短いスパンで表現してくれているのだと。

日の出は、生命の息吹を感じさせてくれる。ただそれよりも、夕日は死や全てに終わりがあることを囁いてくれるから好きなんだ。夕日をじーっと見ていると、ふと別に世界に入り込んだような気分になって落ち着く。

夕日は、この世で生きる上で必ず感じざるを得ない、根源的な寂しさのような感情を思い出させてくれる。利己的に成長や拡大を目指すと足元が見えなくなる時があるけど、どれほど素晴らしい世界であっても、必ず終わりはあるということ。

 

これからもテント生活を続けながら、毎日自然の声を聞き続ける。鈍った五感を復活させる。これだからテント生活はやめられない。

おわりに

テント生活をしていると、このような自然の声を直接聞く機会がたくさんある。それは安全な家を離れて生活をするということだから、時に死と表裏一体になる。けど、これが「自然」なのだと思う。

これからもしばらくはテント生活を続けるし、例え大金を所持する生活になっても、自然の声を聞く機会は必ず設けたい。お金を投資すれば死を遠ざける生活を送れるけど、それは生から自分を遠ざける行為であり、逆説的だが死を遠ざければ遠ざけるほど死んでいくということなのだと思う。

旅はあらゆる事象を内省する機会になるので、すごくいい。迷ったら、旅に出よう。