よねすけ、隣に突撃するってよ。

新しい世界を求めて、いざ突撃せん。

小学生だった自分にとって、インターネットは「匿名で唯一大人と対等に話せる場」だった。

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物心ついたときからネットに慣れ親しんでいた僕にとって、「インターネット」は目の前にあって当然のものだった。

それだけ日常に浸透していたのだけど、最近何度も取り上げている『インターネット的』という本を読んでから、あらためて「どれだけ革命的なものなんだ」ということを実感しています。

ひょんなことから、過去の自分の「インターネットとの付き合い方」を振り返っていたのだけど、当時小学生の自分にとってインターネットとは「自身の身分・立場を突き抜け、本来対等に関わることが難しい”大人たち”と、唯一対等に接することができる場」であった。これからのインターネット論には重要なおはなしだと思うので、記事にしてまとめておきます。

「匿名制」による害悪

僕がインターネットを利用し始めた当初は、2chを筆頭にして主に「匿名制」を利用して双方向でのコミュニケーションが行われていた。

匿名性は、自身の身分や立場を飛び越えて他者とコミュニケーションを取ることができる、当時の自分からすれば画期的なものだった。

子どもは基本的に「子ども」「小学生」といった枠組みで大人から捉えられる。子どもと大人で体格や発達状態の違いはあるので、当然そういった枠組みがあること自体は健全なのだけれど、それ以上のことを実現しようとしても突き抜けるのが難しいのだ。

 

ただその匿名制も、利用する人のさじ加減で良いようにも、悪いようにも利用することができる。

実名で他者に中傷的な発言をすれば、当然ながら発言した分の責任がのしかかってくる。一方で匿名での誹謗中傷は、自身の身分や肩書きを顧みず発言することができるし、特段責任も負わなくてよいから気軽に発信できる。

ブログを書いている人はわかると思うけれど、たとえば「はてなブックマーク」のコメントを見ていると、匿名でむごいコメントが散見される。炎上している記事のURLをTwitterで検索すると、それはもう「これ書いて大丈夫なの!?」というレベルで誹謗中傷合戦が展開されている。

 

それでも、当時を振り返ると「匿名性」は必要なものだし、守っていかなければならないものだと思うんだ。

それはまた、「インターネット」そのものを子どもに使わせるのか、使わせないのかという議論にもつながる。

身分や立場を突き抜けられるもの

普通に生活していて「なんだかこれおかしいよなー」と思ったら、所属集団を変える、情報のインプットの系統を変えてみる、など自身の違和感に対して様々なアクションが取れる。

でも子どもは、自ら行動したくても「意思決定権すらない」こともある。仮に本人が自分で選択できて、自ら責任を取れる状態であっても。

もし手元に自由に使えるインターネットがあったら、その身分や立場を突き抜けて行動できるかもしれない。周囲の環境は変えられなくても、インターネットを介して大人の「子どもはこれを見るべき」という恣意的な選択を越えて情報を入手出来る。匿名制を利用して、「子どもだから」というバイアスなしで意見を伝えられる。

 

それは一方で、自由であらゆるものを閲覧・発信できる代わりに責任も付きまとうものであり、その段階で「大人が許可するかどうか」という選択に晒される。

インターネットそのものや匿名性が排除される可能性は独裁国家でない限りはないだろうけど、マイナンバーなど個人の動向とインターネット上での活動が紐づけられる可能性もある時代で、「匿名制」の重要性を認識しておくことは大事だと思う。

はたまた、それさえあれば人生が変わるかもしれないものを「子どもに提供するのかしないのか?」を選択するのも僕たち大人の役割なのだ。

 

以前、日本一周していた時に小学生の女の子たちに出会って一緒に遊んだことがあるんだけど、最後に「大人のともだちができてよかった」ってボソッと呟いた。その時はインターネットは特段関係なかったけど、「地域で身近に、対等に接することのできる大人がいるかどうか」を如実に表していた事例なのだと思う。

インターネットは、良いようにも悪いようにも使うことができる。悪用して子どもに近寄ってくるような大人もいれば、一生のロールモデルになるような大人もいる。

人間の心理として悪いようにばかり強調されるけど、自分のような人間もいたこと、そしてこのような出会いがあったことも含めて少しでも考えてもらえれば嬉しいと思います。

 

そういう意味では、PCにフィルタリングこそつけていたけど(ほとんど機能していなかったような気もするが)ある程度自由にパソコンを使わせてくれた両親には感謝ですね。

おわりに

なんとなく、匿名で発言すること自体が「避けるべきもの」、「とても危険なもの」として扱われてきているような気がしたので、こんなエントリーを書いてみました。

小学生の自分にとって、「インターネット」そのものと「匿名制」は置かれている立場を(良い意味で)突き抜ける良い作用をもたらしてくれた。あくまで個人の体験談でしかないけど、大事にしていきたいものだから記事としてまとめてみました。

インターネットを子どもに使わせるかどうかは親の判断一つで変わってしまうけれど、これらも含めて判断してほしいところ。

 

それでは!