「就職すれば安定」というシステムの崩壊と、地域の個人が「ゆるやかな起業」をして衣食住を得る時代。
以前までは、就職こそ「安定するための唯一の手段」だと考えられていた。人生で安定するためには、まず就職をしなければならない。そうすれば、「永遠の安定」が得られるだろう、と。
でも残念ながら、どうやらそう「安定」するものでもないらしいことが最近わかってきてしまった。ずっと雇ってくれるわけでもないし、そもそも他人任せでは何かあったとき、とても危うい状況になってしまう。
以前の「就職こそすべて」という価値観は崩壊し、「東日本大震災」を中心として「お金」への信頼が揺らいだ。これから個人が「衣食住を確保」することを目的に、ゆるやかな起業をバンバンしていく時代。自転車で日本全国を回って、「どうやらそんな時代が来そうだぞ」と思うようになった。
「安定」を求めるには「不安定」にならなければいけないジレンマ
これまで「安定を求めて就職する」という構図が存在していたのは明白だけれども、大企業に就職してもずっと安定を得られるはずはねぇ、というのがここ数年の出来事。
安定にも様々な定義があるけど、そもそも「生きていられれば安定なの?」というのが自分の思うところ。ただ生きてくだけなら、これだけ発展した日本社会において難しいことではない。
そして、むしろ「安定している」状態を追い求めるなら、常に変動する社会においては「不安定であること」こそが安定である、という結論にたどり着く。変化に追いつけない巨大なシステムは、破壊される(破壊的イノベーション )のが資本主義社会の常。
生存するだけという意味なら、ホームレスやニートも生き延びることはできる。幸せという意味での安定なら、むしろ不安定なほうが幸福になれるのではないだろうか。人は良くも悪くも「慣れる」ものだから、平凡な人生はむしろ心を蝕んでいく。
日々必死になって求めている「安定」は、肩書きや社会的地位などの「他者から見た安定」ではないか?
(略)安定してると言っておきながら、本当はわからない自分がいる。それは自分自身が考えた安定ではなく、”一般的”というレッテルの張られた、他者から見た安定だから。
生きていられればいいと思えるくらい人生を突っ走られる何かと、常に実験できる興味の対象さえあれば、楽しい。面白い。一般的な安定からはかけ離れているけど、これが今のところ最も人生を全うしていると思える、安定の手段だ。
自分のために行うものなら、「続ける先に、なにかが起きそうだ」と思うことはある。「これさえやってれば、就活も上手くいくし」という人から見た安定とは全く別物。前者と後者両方を体験して、全く異質のものだなとつくづく思う。
ー「これさえやっておけば大丈夫だ」みたいなものはなくて、信念に基づいて生きることが一番の安定になるのかもしれない。 | リアルマインクラフトの旅
他者の視点から見た「安定」はとても「不安定」なもので、今の日本では他者との関係性さえあれば、かつ「生きたい」とさえ思っていれば、餓死することはまずないと旅を通して実感した。
でも東日本大震災で見た通りに、手元にあるお金が利用できなくなる瞬間は必ずあって、「それではダメだろう」という人が地方に移住して畑を耕している。
考えてみれば、「雇用される」ということは、自分の衣食住に関する全てを会社に預けていることになる。お金で衣食住を得ている以上、お金の出どころである企業に生活を握られているということ。信頼できる場所であればいいけど、本当にそれでいいのか・・・?という発想に至るのは自然なことだよね。
就職という選択肢自体は本来関係なくて、「これまでの過剰にメッキされた就職のイメージが崩壊した」というところが大きいのだと思う。
さて、「本当の安定とは何か」と考え始めると、どうやら以下のような働き方・生き方に行き着く人が多いらしい。
「衣食住」を得るために小さい範囲で起業する
2011年の東日本大震災で、「お金」が一時的にでも使用不可になることを体験した人たち。分業社会にのめりこみ、自分で野菜すら作れないということに危惧した人たちが、日本各地に移住して農業を始めたらしい。
また2014年に政府が「地方創生」に向けて動き出してから、地域おこし協力隊の募集人数を一気に引き上げたこともあって、「地域活性」に関するエピソードや書籍なんかが市場に溢れだしてきた。
ITのスキルを身に着けた若い人たちが、WEB上で成果を作り出していくと同時に、土をいじりながら自ら野菜を育てる。かつては「なんやそれ」と言われただろうけど、そんな生き方も珍しくなくなったよね。
地域で住み、そして地域で自給生活を送るということは、その地域内で通貨や成果物を循環させていくということ。
それは従来の「雇用」モデルには全く合わない生き方で、自分で旗一本立てて生活していくことが前提になる。
地域に住む個人が、周囲の人たちの協力を得ながらも自身で衣食住を得て必要な分のお金を得てゆく。つまりそれって「1人1人が起業して生きる時代」で、グローバル規模でも「これからチーム単位で働くことになるから、個人の力が重要だ」と言っているのとあまり変わらない。
以前、読書をしている時に見た内容でもあるんだけど(題名は忘れた)、これから東京一極集中でひたすら経済を回すグループと、各地域でそれぞれコミュニティを作って経済や物資を回していくという生き方が二極化する気がする。
中途半端な規模の都市は機能停止しつつあるし、逆にこれまで見向きもされなかった地域は地方創生の恩恵を受けて人口が増加している。それぞれ地域間で競合しているので、その流れは強くなるばかり。
地域で住むとなると、1人1人の関わる領域が多くなるので、ハイパー分業社会みたいな「このスキルだけは得意です」では生きていけなくなってくる。また社会の流れが一気に変わるということは、自分で考え改革していける人材が必要になる。
なんだか最近の「よき人物像」にこじつけたような感じになったけれど、本当にそうだよね。
これから生きていくための「武器」
幸い、「ゆるやかな起業をする」ための武器は一通り揃ってきている印象はある。
例えば以前長野県で訪ねた家庭では、自給自足生活をしながら「月3万円ビジネス」を実践し、自給で余った食物や比較的高価で売れる雑穀なんかを「BASE 」という無料ネットショッピングサイトで販売していた。
集客のためではないけど、日々の子どもたちの様子をブログ上で長年に渡って発信していたために、定期購読しているファンが買ってくれるのだという。これ、自給自足で生活する人が増えるごとに一般化してく気がする。
インターネットさえあれば仕事を生み出せる時代なので、最低限のスキルさえあれば田舎でも生きていける。もちろん、お金に換えることのできる「自身の影響力」は必要になりそうだけど。
もっと自由になれる「武器」は揃ってる。自分はどの領域で生きてゆくのか。どんな働き方で生きていきたいのか。
今後とも、ぼくは地域で活躍する「地域のカリスマ」を訪ねながら、これからの生き方・シゴト・教育について考えてコンテンツ化し、発信していく予定です。今後の生き方を創っていくために。よければご覧いただけると嬉しいです。
それでは!