よねすけ、隣に突撃するってよ。

新しい世界を求めて、いざ突撃せん。

都会しか知らない僕にとって、初めてみた「田舎」は衝撃的な場所だった。

今、メディアで積極的に「地方移住」が取り上げられて、都会で消耗した人たちが「田舎は面白い!」と次々に移住を始めていますよね。

もはや「ブーム」とすら化しているけれど、僕も最初は「田舎」を全く知らなかったし、表面上のイメージでしか判断していなかった。家電製品や便利なものに囲まれて育った、典型的な「都会人」だった。

去年の4月に「自転車日本一周の旅」を初めて、日本中を巡っているうちに様々な家庭にお邪魔になり、その地方ならでは生活を体験させてもらいました。次第に都会人には想像もつかないような「田舎」の側面が見えてきたので、紹介させてもらおうと思います。田舎ってこんな面白くて、カオスなんだぜ!

自転車日本一周の旅をとおして。

冒頭でも紹介したとおり、僕は「自転車日本一周の旅」を通して、様々な地方の形を見てきました。それと同時に、旅中に「ぜひうちに泊まっていきなよ」と家庭に入らさせてもらい、「その地方ならではの暮らし」を体験してきました。

www.yusukeyonezawa.com

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なかには1ヵ月半も滞在した場所もあったんですが、これまで都会でしか過ごしてこなかった僕にとって、初めて長期滞在した田舎は「衝撃的な場所」でした。

「トイレも玄関もオープン」だったり、アホみたいにエネルギーコストが安かったり、都会では消費する一方のエネルギーや食材を自ら生み出してしまう人、家すら自分で作ってしまう人、さらには、各地方に点在する「地域のカリスマ」と名付けている仙人のような人たちもいる。

僕にとっては全てが新鮮で、面白い場所でした。確かに不便な要素も多いけれど、都会暮らしに飽き飽きしている僕たちにとって、これから「面白さ・カオスさ」が暮らしを選ぶ基準になるだろうという確信も得られました。

トイレも玄関も「オープン」な場所

最初に衝撃を受けたのは、「なんでもオープン」だということ。「田舎は、なんでもオープンなんだ」という情報は他メディアから得ていましたが、思ってたよりも圧倒的に「オープン」でした。

都会では考えられないけれど、キッチンもトイレも、場合によってはお風呂すらオープンなんですよ。(笑) 都会みたいに個室用になんでも区切られてないし、自分のスペースがない場合もある。

もちろん家によるんですが、キッチン・トイレ・お風呂は外にあって、まさかの畑がトイレなんて場所もありました。(笑) 落ち葉とか、傷んだ白菜の葉でお尻を拭くんだそうです。なんじゃそりゃw

 

さらに衝撃なのが、田舎では犯罪を起こそうとする人が少ないのか?家を出るときも鍵をかけない。というか、「そもそも鍵がついてない!」(笑) 都会では絶対ありえないよね。

長期で外出する際も鍵をかけない。というか、そもそも「存在しない」のだから、戸締りができないw 外出している間に運送業者の人が来た場合、玄関を勝手に開けて置いていってくれるらしい。え!それってセキュリティ的に大丈夫なの!?(笑)

僕が住んでいた実家では、家族全員に個室が与えられているし、当然ながら(?)水洗のトイレもある。鍵もついているし、トイレットペーパーを使ってお尻を拭くし、お風呂やキッチンは家の中にある。もうこの時点で、「都会人としての常識」が崩壊いたしましたw

究極的にエネルギーコストが安い

都会で生活するには、外部で作ったエネルギーを利用しなければならないために、コストが高くつく。でもご存じのとおりに、田舎では「エネルギーを自給」できる!

洗濯機はあるけど、最近流行りのドラム式洗濯機などというものは存在せず、昔の二層式を利用している家庭が多かった。冷蔵庫はかなり小さいタイプで、冬場は逆に「凍らないようにするために利用する」という状況。(笑)

都会でよく見るような、エアコン、電子レンジ、電気ポッド、炊飯器、IHなどというものは一切存在しませんでした。なかには電気の一部を太陽光発電で、またガスを一切使用しないなんて家庭もありました。都会人からすれば、「どうやって生活するの!?」といった疑問すら浮かんできますが。(笑)

 

電気はほとんど使わないし、ガスに至っては全く使用しない。そして水道は近くの山から引いてくる。このような状況なので、全て合わせても2000円ほど・・・という家庭もありました。

主に長野県の山奥に訪れていたんですが、気候が涼しいので冷房はいりません。暑かったら「すぐ近くの清流に飛び込め!」といった感じ。(笑)

暖房に関しては、全ての家庭で「薪ストーブ」を使用していました。土地が広いことが多く、自分で木を切り倒して薪にするそうです。木自体は再生資源だし、むしろ日本ではほとんどの森が放置状態になっているので、「適度に間伐するために切った木が薪になる」という一石二鳥状態なんですよ!

「家」すら自分で建ててしまう人たち

都会では、作られた「パッケージとしての家」を購入するのが「当たり前」ですよね?

住居に数千万とか、家のない生活をしている僕からすれば「アホか」と思ってしまうんですが、田舎には「家」すら手作りで建築してしまう人がいっぱいいます。

廃材を利用して建築をする人、「森」状態になっている土地を切り開いて家を建てる人、築100年以上の古民家を改修して住居にしてしまう人。家って誰もが「買うもの」だと思っているけれど、自分で作れば安く建てられるそうです!

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おばあちゃんがめっちゃ元気

田舎に訪れて、個人的に一番「素敵だなぁ!」と思ったのがこれ。90代のおばあちゃんが普通に畑仕事をしているんですよ!すごすぎ!

作業スピードも若者には追い付かないくらい早いし、そして大量の作物を1人で育てているために、頻繁に「この野菜いるか?」と声をかけてくれる。

田舎では「やること」があるからボケにくいし、老化しにくいそうです。場所によっては移住者に排他的な地域もあるそうですが、僕が訪れた地域では「若者が来てくれて嬉しい」という方々ばかりでした。

 

地域のおじいちゃんおばあちゃんがいてくれるだけで、「子育て」の環境が一気に魅力的になります。地域では子どもの絶対数が減少しているので、凄く可愛がってくれるみたいなんですよ。

単純に僕自身がおばあちゃん好き・・・といった理由はあるけれど、地域で頑張って生きているおばあちゃんたちが近くにいてくれるだけで「素敵だなぁ」と思います。

「不便さ」は住む場所によって変化する

このような田舎の話を友人や知り合いにすると、まず「不便そう」ということで敬遠されることが多いのだけど、本当にそうなのかなあ。

都会では「物が無い」ことが不便とされるけれど、田舎の人はむしろ「なければ、自分で作れるじゃん?」というスタンスで生活されていました。

田舎の人たちは、「都会の空気の汚さ」であるとか、「人口密度の過剰さ」「不毛な労働環境」などを不便だ、不毛だと呼んでいました。つまり、「不便さ」すら住む場所や自身の価値観によって変わる、ということ。

 

僕も最初は「物がないことは不便なことだ」と思っていたんですが、旅をして、また地方を回って「いや、そんなことはない」と思い始めました。

むしろ不毛なのは、「消費するという遊びしかないこと」、「都会には”循環”という構造がないこと」、「変に周囲の気を使って生きなければならない」ことに不毛だなと感じるようになりました。

それぞれ地域によって、良さも変わってくるんですよ。ただ一度じっくり田舎を回ってみると、都会を見る視点が変わります。なぜ僕は今まで高額なお金を払ってまで遊んでいたのか、なぜ目の前に人がたくさんいるのに「障害物」としか見ていなかったのか、なぜ自分の空間があるのに、隣近所に気を使って騒いではいけなかったのか・・・。

これからどう暮らしを作っていくか

「田舎」が必ずしもいいわけではないし、「都会」が必ずしも便利だ、というわけでもない。一方を蹴落として自分を正当化しても意味がないと思っていながらも、「田舎って面白いなぁ」とは思います。

今まで「都会は便利だ」ということを信じすぎていたのだと思います。もっと田舎にも目を向けていいし、もっと平等な価値観で見ていい。

でも、これから「面白さ・カオスさ」で暮らしが作られていくと思うんです。これまで便利さを追求しすぎた結果、「予想できないもの・カオスさ」が失われてきた。これから僕たちは、反発するようにそれを求めていく。

 

過去には、これらの暮らしは当たり前のものでした。でも若者には「過去」を本や文献を通してしか理解していないから、過去が新しいものとして扱われる。

これからも僕は、「田舎」という懐かしくて、でも「とても新しい暮らし」を追い続けていきたいと思います。田舎には、まだまだ可能性が詰まっていそうです!