よねすけ、隣に突撃するってよ。

新しい世界を求めて、いざ突撃せん。

これまでにないメディアを作っていきたいけど、「承認欲求の魔物」が邪魔するって話

自転車日本一周の旅を続けながら、地域の人と交流して、そこから感じた「新しい生き方・シゴト・教育」のことをこのブログで発信してゆきたい。

僕自身、これまでにない「ブログ・メディア」を作っていきたいと思っています。で、今は自分にできることをコツコツとやっているんだけど、自分の行く先に「承認欲求の魔物」がいて先に進むことが難しい。

まぁこれは自分との闘いなわけですが、最近自分の進もうとしている道・行く先についてワクワクしていると同時に、すごく不安を感じています。というお話。

承認欲求の魔物

ここから少しだけ、ブログ運営に関する専門的なおはなし。

cycle-japan.com

以前、日本一周の日記を書いていたブログ「リアルマインクラフトの旅」では、日本一周の旅の様子を更新するとともに、検索流入が得られるノウハウ系の記事も更新していました。

確かに、SEO(検索エンジン最適化)をキッチリすれば弱小ブログでもそれなりのアクセス数が得られます。が、「ノウハウ系の記事を更新していても面白くないな」って思ったんです。

新しいコンセプトで始めたこのブログ「風来のタズネビト」では、ただノウハウを羅列しただけの記事ってほとんどなくて、「これからの暮らしを作っていくにあたって、僕が考えていることと、今後新しい暮らしを求める人が参考にするであろう理念的な情報」を中心に更新しているんですよ。

 

ブログのコンセプトからしても、地域の情報を発信する「ローカルメディア」になるから、ページビュー(閲覧)数を追うのは向いていない。短期的に閲覧数を稼ぐのではなくて、まずはしっかりコンセプトを打ち出し、こちらが本当に見てほしい人に情報を届けてゆく。

でも、やっぱり検索を前提にしないと閲覧数って全然上がらないんですね。前のブログだったら半年間更新を続けた時点で月間3万PV(ページビュー)はいってたけど、このブログの閲覧数は全然伸びない。

まぁ、まだまだほとんど記事を蓄積できていない、っていう要因は大きいです。悩む前にさっさと100記事更新しろ、って話です。でも以前のブログという成功事例があるから、思わず立ち止まってしまいます。

 

「承認欲求の魔物」という存在って、抗おうとしても難しいんですね。「閲覧数が上がること」が生きがいになった瞬間に、変動的な閲覧数に翻弄されて死ぬ。

閲覧数が増えたからって、本当に自分のファンになったかなんてわかりません。ただただ目の前の情報を解決するために、誰が書いた記事でもいいからGoogle先生のTOPに表示されてるページをクリックしただけかもしれない。いや、ほとんどはそういう人だ。

でも、一度「甘い果実」を味わうと、もっと甘い果実を、もっと欲しい・・・そんな心理状態に陥ってしまいます。と同時に、今果実を得られていない自分はクソだ、実力不足だ、なんて心理にもなります・・・。

周囲がすごい人ばかりに見えてくる

この活動を通して、社会をより面白くできる、というかこの活動自体が面白い・・・という確信はあるんですが、僕にはそれを広められる「ネットワーク」も、そして人と濃い関係を築けるコミュ力もありません。

で、そんな心理状態のところに「承認欲求の魔物」がつけ入ってきます。「お前は活動を広められるネットワークもなければ、コミュニケーション能力もない。閲覧数を増やすこともできないし、お前は一生ジリ貧だ」と。なんということでしょう・・・。

この状態で、どうやって僕の活動を広めていけばいいんだろうか。目の前にあることを確実にコツコツと続けていくしかないし、「ないない尽くし」だからこそアイデアをひねり出して、小さい脳みそをフル回転させていくしかない。

 

で、そのような心理状態のままいると、次第に「周囲の人のすごさ」がやたらと目につくようになります。あの人はネットワークがあるから、自分が打ち出すコンセプトを瞬く間に広められている。一方で、自分は・・・あれ?みたいな。

周囲の人をやたらと謙遜しはじめ、一方で自分はやたらと自虐的な発言をしてしまう。んで、それをすると周囲の空気が変になるw

このような状態だからこそ、あえて莫大な労力と時間を投入し、「絶対に広めてみせる」という逆境フェチ的な感情が湧いてくることも事実。燃えますね。でも、「心理的に健全化か?今のあなたは幸せか?」と問われると微妙かも。

新しいことを始めるのは、怖いこと

承認欲求の魔物って、本当に怖いです。次から次へ、留まることを知らないほどに「他者からの承認」を求めてしまう。

それは「単独の愛」かもしれないし、「多数からの称賛」かもしれない。その時点では満足するけれど、「より多く、より先へ」を求めてしまう。

承認欲求を得るには、誰もが知っていることを始めるのが一番です。大衆に理解されていれば、承認を得やすいですから。でも大衆の理解を得られていない場合、そもそも承認されること自体が難しくなります。批判する人もいるかもしれない。失敗する可能性すら高い。だからこそ、「新しいことを始めるのは怖い」んですよね。

 

「承認欲求の魔物とどう対峙するか」ってブログを運営するものにとっては、永遠の課題だと思うんですよ。

これからブログを始める人も、そして現在で相当な読者数がいる人も、この「承認欲求の魔物」と対峙して、自分なりの結論を出さなければいけません。

自分の場合は、やっぱり承認欲求だけを求めるのは向いていない。自分が実現したい未来を見据え、「どのような人たちに情報を届けたいか」そして「その人たちに、どのように価値を生み出すか」を考えて、あとは愚直に手足を動かしていくしかない。

 

本当、何も考えずに生きるほうが圧倒的に楽なんです。できれば楽に生きてゆきたい。

でも今の世の中を冷静に見つめると、「どう考えもおかしい」ことがいっぱい目についてしまって、行動せざるを得なくなる。

ただ嘆いていても仕方がないから、「観察者」でいても何も変えられないから、自分の手足を動かして、泥にまみれながらも「プレイヤー」として先へ進んでいく。それが社会をよくすることに繋がるかはわからないけれど、その方法しか僕は知らないから。少しでも明日を良くしていくために、「今」行動してゆく。

 

本当、世の中不毛なことばかりですね。さて、今日も少しでも手足を動かして、少しでも先へ進んでいこう。それしか方法はなさそうだし。