よねすけ、隣に突撃するってよ。

新しい世界を求めて、いざ突撃せん。

旅に出たからこそわかる、「実家」という名のセーフティーネット。

およそ9ヵ月間の自転車日本一周の旅を途中で終えて、一時帰宅という形で兵庫県の実家に戻ってきた。

実家で普段過ごしているときは、この環境が当たり前だと思う。しかし衣食住が不自由な長期の旅に出て帰ってきたとき、「なんて素晴らしい環境なんだ」と改めて実感した。

いつでも帰られる場所があるのは幸せなことだし、いざという時「セーフティーネット」的存在にもなりうる。インターネットの登場によって「移動する生活」や「旅的な暮らし」を実現することも可能になったけど、改めて実家の存在について考える必要があると思った。

旅には「実家」という存在が不可欠

自転車で日本一周をするという時、旅に使用する荷物は移動しながら持ち運ぶけれど、帰ってきたときに必要なものはどこかに置いておかなければいけない。

また季節によって衣類や道具を入れ替える必要がある。そのようなとき、実家とのやり取りが必要不可欠になる。これは世界一周等の旅でも同じだろう。

特別な例を除き、基本的に旅には「実家」という存在が不可欠であり、あらためて存在に感謝する必要があるなと思った。両親との仲が険悪であれば難しいし、貧困すぎても帰る居場所が無くなるだろう。

自由な仕事・暮らしに必要なもの

「実家が必要」という論理は、旅中だけでなく「自由な仕事」を創っていく際にも同じことが言える。

インターネットの登場で、以前よりも流動的で自由な仕事・暮らしを実現することが可能になった。まだまだ少数派だけど、「旅をしながら(移動しながら)仕事・暮らしを創る」という選択肢が出てくるだろうし、今の自分はそこを目指しながら日々活動している。

まだマーケット自体が存在していなかったり、人々に認知されていないようなことを始めるとき、生活が金銭的に不安定になる。もし途中でつまづいてしまったとき、「セーフティーネット」である実家があればいつでもやり直せることができる。逆に帰る場所がなければ、そのままのたれ死んでしまうかもしれない。

僕らが「居場所」をつくっていく

「いつでも帰られる場所」があるというのは、僕が考えていたよりも遥かに重要なことで、今後自分たちが暮らしを創っていくにあたって改めて考える必要がある。

その一つが、自分たちが将来の子どもたちに向けて「居場所」を創っていく必要があるということ。どれだけ自由な暮らしになろうとも、「帰られる場所」があるかどうかで将来の行動が変わってくる。現段階で自分の暮らしを創っていくだけでなく、将来の「居場所」についても考える必要がある。

自分の両親と同じように、「いつでも帰ってきていいよ」と言える環境を作れるかどうか。自分自身が自由な生活を目指しつつも、意識していきたいことです。