よねすけ、隣に突撃するってよ。

新しい世界を求めて、いざ突撃せん。

初めて「鶏」を絞めて屠殺し、食べるまでの作業をしてみた。-自らの手で命を頂くということ。

「食」ーーーとは本来、生き物を殺めて自らの血肉とし、命の重みを噛みしめる「文脈性」が宿るものなのだと思う。

都市の生活をしていると、動物を絞めて解体する機会なんて皆無だよね。

今回たまたま旅先でお世話になっている自給自足をしている家庭で、「鶏」を絞めて解体出来ると聞いたので、生まれて初めて作業をしてきました!

生命の余韻が残る暖かい血、死ぬ直前の最後の抵抗、静かに閉じていくまぶた・・・。壮絶な作業だったけれど、貴重すぎる経験をさせていただきました。自らの手で命を頂くということは、つまりこういうことなのかなぁ。

生きるとは、こういうこと?

注)この先、鶏を絞めて解体する過程で生々しい写真もアップしてあります。作業風景の写真がないと、コンテンツとして成り立たないからです。この先は、閲覧したい方だけ見ていただけるようお願いいたします。

現在長野県阿南町にて自給自足生活を送る、「小椋さん」という方のお家に居候させていただいております!

馬と共に生活する「うまや七福」繋がりで出会ったわけなんですが、なんと家庭で鶏を飼育しており、卵を販売したり鶏肉を自給しているそうなんですね。

鶏の話をしていると、「良かったら、潰す(絞める)経験をしてみる?」とお声がけいただきました。

以前から動物を絞めて捌く経験をしたいなと思っていたので、ありがたく作業をさせてもらうことにしました。

 

小学生の時から釣った魚を絞めて捌くという作業をしていたけども、鶏の場合はまた違う驚き、発見があった。

魚は食事の対象というイメージが強いけども、鳥類の場合は愛玩動物として飼育されることもあるし、実際に実家でもインコを飼っている。

好奇心で体験することにしたけど、直前になって言いようのない恐怖を感じ始めた。好奇心と恐怖心が入り交じるなか、作業日当日を迎えてしまいました。

 

この独特な感覚ーーーはたぶん、生涯生きてきたなかで初めてかもしれない。

それでも、実際にやってみることにした。特に深い理由はなかったけど、ここで実現しなければ他では難しいだろうなと思ったから。

また、ぜひこの時の体験をシェアしたいと思ったから。人が生きる過程で、見逃すことの出来ない闇の部分だから。

 

普段は鶏の卵を販売して生計を立てられているんですが、老鶏になると卵を産まなくなるので、そちらの鶏と近所の方が飼育されている老鶏を絞めさせてもらうことに。

飼育小屋には、これから大人になるヒナも飼育されていました。うーん、ちょっと複雑な気分・・・。

これから絞める予定の鶏。

じっくり見ていたんですが、なんとなく死期を悟っているような落ち着きぶり。あんまり見つめると可愛く見えてしまいそうなので、やめておく。。。

鶏を絞める前に、あらかじめ準備をしておきます。

手前のドラム管ではお湯を沸かしていて、絞めたあとに鶏を浸けるそう。奥の作業台は鶏を解体するために用意しました。

これから、いよいよ絞める作業に入ります。とても複雑な気分。

でもせっかく頂いたチャンス。ここで体験しなければ、他ではなかなか経験できないだろう。やってみるしかないな・・・!

阿南町の地域おこし協力隊の方も合流して、レッスンスタート。

まず、小椋さんから鶏の掴み方を教えてもらいます。

手をパーの状態にしてから、中指と薬指だけ折り曲げ、人差し指と小指を鶏の羽の部分に差し込みます。余った親指は鶏の指を抑えるのに使うそう。

返り血が飛ぶので、川沿いの何もないところで作業します。早速抵抗する鶏。向こうもこちらも、本気。

次はいよいよ、鶏を絞める作業に入ります。

小椋さんに絞める方法・手順を教えてもらってから、作業に取りかかることに。

不思議と作業直前になると恐怖心を感じませんでした。

今振り返ると、ただただ感情を殺していただけかもしれないけれど、あくまで淡々と作業方法を覚えることに専念していました。

いよいよ生きている鶏を絞める番。鶏を掴んだ瞬間、暴れだして作業が進まない。

掴んだ鶏はとても暖かく、「ああ、生きてる」ということをまざまざと感じさせられました。

暖かく、体に新鮮な血が循環している生き物を今から殺めるのだな、ということ。生命の循環をこの手で断つのだな、ということを絞める直前にふと感じた。

「ごめんなさい」とつぶやきながら、ナイフを大動脈に当てて大量出血させる。しかし、なかなか刃物が上手く入らない。結局、3~4回も繰り返し繰り返し切り込みを入れることに。。。

上手く作業が出来ず、出血しながらも鶏が暴れだしてしまった。結果、大量の返り血を浴びてしまいました。ごめんなさい。。。

暴れる鶏を抑えながら、絶命する時を待っていた。

絶命する直前、最後に猛烈な抵抗をしていた鶏も、血が抜けるほどに次第に力が無くなっていく。最後は静かにまぶたを閉じながら、絶命しました。

手や衣服に大量についた血。生命の余韻を感じさせる暖かさだった。

力強く感じた足も、触れると力なくぶらんと垂れ下がってしまった。人生で初めて、鶏を絞めた。

あ、チキンだ。

鶏が絶命したあと、あらかじめ80℃~90℃程度に沸かしたお湯に鶏を浸け、毛穴を開かせることによって羽をむしり取りやすくします。

鶏の羽は耐水性があるので、しっかりと浸けないと浸透しません。お湯、あっつい!

毛穴が開いたところで、順番に毛をむしっていきます。

これが一番大変な作業で、なかには「自動脱毛機」なるものを導入している会社もあるそうですが、細かい羽は人力で取り去っていくそう。

それにしても、お湯に浸け込んでいたおかげで強力なチキン臭がする。普段なら「美味しそうな匂い」に感じるのかもしれないけど・・・ちょっとキツイ。

羽を全て取ると、そこには美味しそうなチキンが・・・。あれ?おかしいな。先ほどまで目の前で鶏を絞めていたはずなのに・・・。

小椋さんと話していたんですが、鶏を解体しているとある時点から「死んだ鶏」から「食事の対象」として見れるようになるそうです。

人間の視点とは怖いものだなと思いつつも、合理的だなとも同時に思いました。

その後、鶏を部位ごとに解体して見事鶏肉になりました。ここまで来ると、もう美味しそうな肉にしか見えません。(笑) さっきまでの作業は一体なんだったのか。。。

新鮮な鶏肉!

鶏を絞めて解体する作業をしたということで、早速先ほどの鶏を食べさせてもらうことにしました。

レア状態のササミ、胸肉、新鮮なレバー。

ササミは、鶏をお湯に浸けこんだときと同じ匂い・味がして複雑な心境でした。

元々魚を捌く経験を小さいころから何度もしていたので、鶏を捌いたからといって食べられなくなる、ということはなかったけど、こればかりはちょっと複雑。

が、新鮮なレバーは絶品でした!食べさせてくれてありがとう。ごちそうさまでした。

後日、鶏ガラスープのうどんや残った肉もいただきましたが、こちらも本当に絶品でした!美味しくいただきました。ありがとう。

「いただきます」の形骸化

ということで、今回は鶏を絞めて解体し、実際に食べるという一連の経験をさせていただきました。

自分のような都会っ子は意識しなければ出来ないことだし、実際に今までにない経験をさせていただきました。今回の経験を経て、少し感じたことを。

どの家庭でも、大体食事前には「いただきます」とつぶやく儀式をしますよね。が、現代においての「いただきます」という儀式は、ほとんど形骸化しているなと昔から感じていました。

自身で食を自給しなければ、実際に生き物・野菜を育て調達しなければ「いただきます」という言葉もあまり意味をなさないのかなと。

無理に唱える必要もないし、分業・企業化が進む現代において、食に感謝を唱える必要すら少なくなっているのかもしれない。

それでも敢えて「いただきます」という本当の意味を知りたいのなら、実際に生物を育て、そして絞めて調理し食べるという一連の過程を経なければいけないのかなと。

今回自分も少し体験させてもらった程度だけど、少しだけ核心に近づけたのかもしれない。

動物に限らず、自給をされた野菜を頂くときも、作った人の苦労を考えれば自然と「いただきます」という言葉が出ます。

 

この経験を必ずしも他の人がするべきだとは思わないけれど、自分としては経験をシェアしたいなと思って今回の記事を作ってみました。

中には過激な写真も掲載してありますが、必要だと思っての行動です。驚いた人がいたらごめんなさい。

既成食品が圧倒的なシェアを占めている現代において、とても貴重な経験をさせていただきました。小椋さん、本当にありがとうございました!